セルダイ力養成講座

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10 thoughts on “必ずやる気になる目標の立て方 ー 人生を考えるなら「○」を考える

  1. 死にまつわる思い出はありますか?
    それはどのようなことですか?

    母の母が亡くなって、田舎へ行った時の思い出。
    私は5~7歳くらいだったかなぁ?

    母が祖母を見て泣いているんですよね。
    母の母は、本当の母ではなく育ての母親なんですよ。
    それでも泣くんだ~って。

    私は祖母の想いでは1つもないけれど、
    この場面だけは覚えているんですよね。

    あと父の父が亡くなる前に田舎へ行った時。
    まだ生きていたのだけど、寝たきりの姿を見て
    怖かった。

    あと母の父が亡くなったと、田舎から電話があったとき、
    母が泣き崩れた姿を見て、驚いた。
    亡くなって人が目の前にいないのに、
    泣き崩れたのに驚いた。

    あとは、いとこがガンで亡くなったときの話
    母が田舎へ行ってて、亡くなるまでの様子を見てた。
    その様子を、私に伝えてきて、
    吐血した状態や、お兄ちゃんの苦しむ様子を話していた。
    それを聞いて、怖かった。

    身近な人の「死」はないんですよ。
    少し離れた人の「死」を見ていた。

    その「死」を悲しむ人が身近にいた。
    悲しむ人の様子を見て、
    私は、命を大切にしようと思ったような気がします。

  2. とても胸の奥のほうがドキッとする動画でした。

    死にまつわる思い出、と聞いてすぐに浮かんだのが、
    3年ほど前にガンでなくなったご近所ママさんのことです。
    よくお話をするわけではなかったのですが、少し痩せてきたかな、というところから、どんどんと痩せていった姿、歩くのがしんどく杖をつき始めた姿、抱き抱えられる姿と、みてきました。
    お子さんが幼稚園卒園~小1になる時期だったと思います。

    元気のあるときに、外で遊ぶお子さんを見ている姿やお子さんがママに甘えている姿と、一方でそのママの中で起きている病気の進行や感情とのギャップが、現実で見えているものはとても一面的だなと感じました。

    そして、歳も近かったこともあり、本当に死はあるんだと感じました。

    子供との日々を、思い切り感じきりたいと思いました。

    亡くなられたお顔を見せていただいたとき、
    この身体は本当に借り物なのかもしれない、この身体を使って生ききりたい、
    と思ったことを思い出しました。

    動画で未来子さんがおっしゃっていた、
    「自分を表現しきりたい」!!
    そこを念頭に置いたとき、今の目の前の選択をどうするかを考えていくということを、この講座を通してより自分の中で挑戦していきたいと強く感じました。

  3. ・5歳、同居していた母方の曽祖母の死。夜寝て、朝亡くなっていました。自分が大人になったら祖母や父母も死んでしまうんだと、嫌だけど避けられないものだと夜な夜な泣いていた。
    ・小3、ピアノの練習を終えて隣の部屋にいる曽祖父の顔を見に行くと起きない。母を呼びに行った。病気や寝たきりでもなく、曽祖父はその日の朝ごはんもしっかり食べていた。今思うとそんな死に方がしたいと思う。当時はあまり悲しいとか感じなかったと思う。
    ・小5、別居の大好きだった祖父(母方)はガンで亡くなった。末期になり家の近くの病院に入院していたので、しょっちゅうお見舞いに行った。亡くなってお顔に触れるととても冷たかった。
    ・19歳、私を産んで2ヶ月後に多発性硬化症と診断されずっと入退院を繰り返していた母の死。最後の一年間、父と母は病院に行かない選択をした。母はもう薬を飲みたくないと言ったそう。父も騙し騙しの治療を見てきて、もう長くないと感じての決断。その一年間、二人は宗教に入り週5で道場に通った。当時はオウムなど騒ぎのあった頃だったので私は物凄く拒絶した。母が亡くなってから「道場へ通う車の中で父と母はいろんな話をしてその時間が持てて良かった。」と父から聞いてそんな二人の関係に憧れた。葬儀には600人を超える方が参列してくださって、母はたくさんの人から慕われていたんだなと感じた。母はそのことをわかっていたのだろうか?
    ・21歳、同居の祖母の死。私が上京する日の朝お風呂で亡くなっているのを見つけた。数年フラッシュバックが起きていた。おあばあちゃん子だったので、母の死より祖母の死が受け入れられずにいた。今思えばあっけなかったけれど祖母らしい死に方と言うか、本人も死んだと気づいていなかったのではないか?と言うくらいおっちょこちょいな人だった。笑
    ・28歳、父方の祖母の死。当日はブライダルの仕事で「おめでとうございます。」と言いながら何をしてるんだろう?と思った。今後これが父や夫や兄弟だったら絶対に嫌だ!悲しいのにめでたくもないのに他人におめでとうを言わなければならない仕事はやりたくない。何かあった時駆けつけられる自分でいたい!と思って仕事を辞めた。
    ・3,11の震災で高校の友人が子供と一緒に津波にのまれ亡くなった。生きていれば、長男と同じくらいだった。もっと生きたかったのではないかな?もっと子供の成長を見たかったのではないかな?冷たくて怖くて苦しんだのではないかな?そう思うと今でも涙が出ます。

    人の分まで生きようとは思わないけれど、後悔は残したくない。
    動画を見て、顔のガンの画像を検索して見ました。私も、顔のガンなりたくないです。苦しいのも嫌です。曽祖父母のように眠って静かに息を引き取りたい。

  4. 動画、何度も見返しました。
    死にゆく人の後悔が、自分自身に正直に生きる勇気、自分の感情を素直に表現する勇気があればよかった、そんなに働かなければよかった、自分をもっと幸せにしてあげればよかったなど、どれも自分に突き刺さるところがあり涙が出ました。この講座に参加していなければ、きっと私も同じような後悔をすることになっていたと思います。しな軸大学で、自分を振り返り、見直す機会が得られたことに感謝だと感じていました。

    たとえ好きなことをしていたとしても、自分にとって身近な人との関係が途絶えていたり、十分に意思疎通がはかれなければ満足して人生を終えられないと思います。

    死にまつわる思い出ですが、母方の祖母のことを思い出しました。10年ほど前に90歳を前に亡くなったのですが、祖母は病院や施設や施設でも、自分がどう思われるかを気にして、なかなか素直に自分のしてほしいことを伝えられずにもどかしい思いをしていました。最後は腰の痛みがひどく寝ていても、起きていても痛がり、痛みからか被害者意識が強くなってしまいました。お世話してくださる方に無視されたなどいうようになり、そう聞いた叔母たちが悲しんで祖母を咎めるという光景を覚えています。祖父は私が生まれる前に亡くなっており、様々苦労があっても文句ひとつ言わずに頑張ってきた祖母ですが、自分を素直に表現できていたら人生の最期ももう少し気持ちがラクだったのではないか・・・と今になって思います。

  5. 死にまつわる思い出・・・と聞かれて、
    咄嗟に出てこないくらい、私は今、死と遠いところにいるんだなと思いました。
    一番悲しかったのは、生まれた時から家を出るまで実家で同居していた父方の祖母の死でした。
    血のつながりはありませんでしたが、私の事を可愛がってくれてくれていました。
    亡くなった祖母の遺体を、家から葬儀場へ運ぶときに、
    悲しくて涙が止められなかくて、たくさん泣いたことを覚えています。
    祖母の死から半年以上、もっと優しくできたんじゃないか、
    ああすれば良かった、こうすれば良かったと、罪悪感と後悔で苦しかったです。
    あと、何年か前に従兄弟が45歳で突然死して、すごくショックだったのですが、
    同時に、健康で普通に暮らしていて、病気でも事故でもなくて
    朝ごはん食べて、昼ご飯食べる前に、何事もなかったのように
    心臓が止まってしまうことってあるんだ、
    ある日そんな風に人生終わる日が来たりするんや、って
    他人の死も、自分の死も、コントロールできないんだなと思いました。

  6. 動画、心に響くものがありました。

    死は直視したくないこと。
    けれど、死を前提にした問いかけであれば、怖いという気持ちがあっても、自分にとって大切なことをやろうと決めるかもしれませんね。
    強く背中を押されるかんじがします。

    昨年末、便秘から大腸がんの疑いで内視鏡検査を受けたのですが、検査結果が出るまでの間、自分の死を意識することがありました。
    (結果は異常なしでした。)
    そんな時、「夫やわんことの生活を失いたくない。家族のことを思う日常を失いたくない。お別れしたくない。」と思い浮かんできました。
    普段は、夫との関係が面倒、夫やわんこのお世話に時間やエネルギーを使いたくない、自分だけのために使いたいと思っていただけに、そう思うことが、とても以外でした。
    【自分だけ好きなことをすればいいの?身近な人との関係が大切なのでは?】というお話がありましたが、死を前提にすると、答えが変わってくるのかもしれません。
    人が怖い、人間関係が面倒と思い、出来るだけ一人でいることを選んできましたが、私が求めてきたものは、人との関わりだったのかもしれません。

    4年前、夫の母を肺がんで亡くしました。
    がんの告知、そして余命宣告、抗がん剤漬けの治療。
    良くなっては悪くなるの繰り返し。
    髪がごっそり抜ける、めまいなどの副作用。
    抗がん剤で、免疫力はどんどん落ちていく。
    脳への転移、今度はガンマでの治療。
    弱った認知機能が良くなるのは一時的。
    どんなに治療しても、がんは身体を蝕み、どんどん弱っていく。
    身体が自力で動けなくなる。
    亡くなる一ヶ月前、最後の余命宣告、入院先から自宅へ。
    混沌と眠る日々の末、最期を迎える。
    ここまで書いてきて、何とも言えない苦しい気持ちになりました。
    延命治療は本当に必要だったのかな?と思います。
    お義母さんは「お医者さんの言うとおりにする」と言っていたけれど、本当はどうだったのかな?
    私はがんを患うお義母さんに対して、逃げ腰でした。
    がんの告知を受けて間もない頃、「死を待つぐらいだったら、事故で死んだ方がいい」と言っていました。
    しばらくして「覚悟を決めた」と言い、それからは弱音を吐くことはなくなりました。
    怖くなかったかな?
    辛くなかったかな? 
    お義母さんは本当は何を望んでいたのかな?
    過ぎたことだから言えるのかもしれませんが、もっとお義母さんの声に耳を傾ければよかった、心に寄り添えばよかったと後悔しています。
    この動画を見るまで、お義母さんの死に対してモヤモヤしていたものの、自分が後悔しているとは思ってもいませんでした。

  7. 母の最期を看取った時です。
    はじめて人の死際を見ました。
    母はたぶん、私と姉が来るのを待ってくれていたと思います。
    2人が病室についてしばらくすると容体が急変しました。
    すごく深い呼吸をして息を引き取りました。

    母は30年間の透析治療、他にも色んな病気にかかたりしていたので、いつもしんどそうにしている母の姿や、後半は治療が辛くて死にたいと泣いている母のことを見て、人ってなかなか死ねないんだと思いました。

    未来子先生の動画を見ていて胸が苦しくなりました。
    境界線が引けていないのか、家族が体調が悪くなるのを見ると(短期間なら大丈夫)精神的に苦しくなります。

    母の病院の送り迎えをしていた時の透析室の様子や、母の入院中の病室でくだに繋がれた方たちを見たりすると、
    私も、病気になったら延命などしたくないと思います。

    だから、死が怖いというより、
    死に至るまでが怖いって感じです。

  8. 数年前の大好きだった母方の祖父の死です。
    最後入院して亡くなったのですが、
    アルコール依存症と、ずっと祖母や母たちにもひどい暴言を吐いていたので
    祖父は嫌われ者でした。
    けど、戦争で大好きだった弟を亡くしたり、せっかく戦争から生還したのに
    母親から「あんたじゃなくて弟の方が生きて帰ってきてくれたらよかったのに」という事を言われたり
    辛そうで孤独にみえ、本当は一番人を恋しがっているようにみえました。

    入院中お見舞いに行ったときは意識はあるのかないのかわからないけれどずっと息苦しそうにこの世のものとは思えない形相で全身を使って息をしていて、死ぬときってこんなに大変なことになるのかって衝撃を受けました。
    そっと手を握って声をかけた時に少し反応してくれたのを思い出しました。
    最期は誰にも看取られず、看護師さんもお医者さんもいつ亡くなったのかわからなかったというほったらかし状態で、
    なんとも言えない気持ちになりました。

    突然の死は別として、生き方って死に方にも通じるのかもしれないとその時思いました。

  9. 数年前の祖母の死。
    もう最期という対面で、身体全部を使って激しく息をする祖母と目がはっきりあった気がして、
    言葉にならない何かを受け取った気がしました。

    もしむりやり単語をあてはめるなら、
    大丈夫。ありがとう。
    かな。。

    人は必ず死ぬ。だけど、いや、だから大丈夫。
    みたいな感覚をもらった気がしています。

    私も子供にそんな風に言えたらなあ、
    とどこかで思っています。

  10. 最初に葬式に出たのは妹の葬式。小2の2月。
    生後1か月で病院から一度も出られず。生まれてから1回だけ病院に行ったがガラス越しで見るだけで
    顔を見たのは死んでからの死顔。結局写真1枚もない。その葬式で父の涙を初めて見て、ああぁ泣くんだと思った。
    ちょっとびっくり。
    家で葬式あげた。
    その後小5で母方の祖母、高1で父方の祖父、社会人1年目で祖母。
    みんな病院で亡くなっているので死に対して、人は亡くなるもんだと思っていた。亡くなって
    悲しいという感覚乏しかったかなぁ。泣くこともなかったから。身近にかかわってくれたという思いもないし
    腹立つことばかりだったし。
    感覚としては30代で私自身この世にいない感じで生きてきたので、そのうち私だろうなと
    でも死に対して恐怖感あったのかどうか今は思い出せない。

    生きていない = 死とは限らないのかもしれないですね。

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